日常生活で、通勤、通学、買物、レジャー、などが楽であるかを利便性というのでしょうか。通勤は、自宅と会社の往復です。比較的短い時間が便利というのでしょう。私は単身の20歳代で1時間から
1時間30分の通勤を数年続けました。その後、引越しして40分位のところへ転居しました。通勤時間だけなら会社に近い所に引越しすれば良いのですが、実家と会社の中間にしました。理由は実家に時々帰ることも考えてです。一方、通勤は以前のことを考えれば半分位になりました。この考え方も個人差がありますね。
1時間30分の通勤を数年続けました。その後、引越しして40分位のところへ転居しました。通勤時間だけなら会社に近い所に引越しすれば良いのですが、実家と会社の中間にしました。理由は実家に時々帰ることも考えてです。一方、通勤は以前のことを考えれば半分位になりました。この考え方も個人差がありますね。
また、地域差もあるでしょう。比較的近い地域と関東圏の通勤は1時間以上が当たり前という事も聞いた事があります。その時代により長くなったり短くなったりします。不動産の価格に左右されるのも現実です。
通学は、小学生から大学生の未成年の方が公共交通機関を主に利用する生活移動です。小学生は主に徒歩。地方ではスクールバス、電車による長距離移動もあります。奥池の場合はバス通学となります。芦屋市では平成の近年まで小中学生はバス通学生に対して補助金をしていました。小学生や中学生は学校に近い住宅が便利と言えます。
高校生や大学生はバス、電車の通学が多くなり、通学時間も1時間位の方も多いのではないでしょうか?
利便性の感覚は年齢・健康状態にも関係します。通院や身体的障害が重く不便を感じてくると変化を求めます。
優先される課題を解決しようと人は行動します。理由は人それぞれです。2軒以上住まいをお持ちの方は住まいの目的を使い分けて。目的に応じて使います。
例えば空気の綺麗な環境を優先する時は郊外の別荘地で過ごします。仕事、通学、その他活動をする時は効率求めて比較的便利な立地に拠点を移す。別荘にしても、比較的便利な拠点にし程よい位置に決定されるでしょう。これは相対的と言われます。平均を中心にして便利がそうでないかの比較論です。これも時代によって大きく変わります。例えば、転居時は比較的便利な立地と考えていましたが、10年以上経過するとだんだん不便を感じてくる。もっと便利で環境の良い場所に移転出来ればと思えてくるものです。そんな事が出来ない環境下ではそんな思考も起こらないかもしれません。社会的環境や個人的状況によって人はその適応能力を発揮します。
日本の通学通勤のインフラは公共交通機関となります。よって、その距離が利便性の尺度と考えられます。
人口減少は生活環境の向上のチャンスと私は考えます。地価下落と生活空間の増加が期待されます。
【答え】人によります。
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