奥池あれこれ情報
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2016年10月16日日曜日
鳥の死亡事故は人災?
鳥の死亡事故は人災?
鳥にやさしい家を建てましょう。
自由気ままに建てた家に鳥が激突して亡くなると気分がブルーになります。
対策を考えてプランニングをしては如何でしょう?
一度あれば必ずニ度三度と続きます。(体験談)
そういえば、車の窓ガラスに体当たりする鳥もいましたね。(体験談)
以下にネットに掲載された情報を転載します。
「窓にぶつかって怪我した鳥」
【質問・・・・】
先ほど、窓にぶつかったらしく、下でぐったりしている小鳥(体長15センチぐらい)を見つけました。
外傷はないようですが、呼吸が非常に荒く、苦しそうでした。
母親が窓にぶつかるような音を聞いてから2、3時間経ってからの発見だったので、水を少し与えました。(指先で水滴を作って何滴か)
そうしたら、目を見開いて、弱く鳴いて、首を持ち上げたので、やっぱり水がほしかったのかと思い、もう少しあげました。うんちもしました。
しかしそれからすぐに、急に呼吸することをやめてしまい、息を引き取ってしまいました。
一体どうなってしまったのか分かりません。水をあげたことがダメだったんでしょうか。とてもショックです。
もし今後、このようなことがあった場合、二度とこのようにしたくないので、何かアドバイスいただければと思い質問させて頂いています。
よろしくお願いいたします。
【回答・・・・】
鷹の様な大型の鳥から小鳥まで、ガラス窓に激突する事は
ままありますが、そのまま死んでしまう場合と、気絶しても
しばらくすると気が付いて飛んでいく場合と、損傷の具合で分かれます。
外傷の場合以外は、してあげられることはあまり無いと思います。
今回も、末期の水をあげられた・・・と思ってください。
質問者さんのお宅が、庭に大きくガラス窓が向いてたり、向こうの窓が
見える様な構造だと、鳥が錯覚する事もあるかも知れません。
しょっちゅうあるのでなければ悲しい事故でしょう。
衝突防止のこころみも色々有る様なので、ご一考ください。
http://homepage2.nifty.com/birding/hogo/jinkoubutu/grass.html
↓
窓ガラス:ぶつかる
【問題点】
· 保護される野鳥には、ガラスが見えないために衝突したものがけっこう多い様です。
· 「アニマルレスキュー教本 野鳥編」(野生動物救護研究会編、1996.エコネットワーク発行)によると、鳥がガラスに衝突するのは、1)樹木や空などの背景が反射する 2)向こう側もガラスで見通せる 3)室内に植木などが配置され、それが外からよく見える 4)樹木や餌台がガラス窓のすぐ近くに配置されている、といった条件下で多発しているようです。
【対策】
· 「アニマルレスキュー教本 野鳥編」には以下のような対策が紹介されており、いずれも万能とは言い難いようですが、窓ガラスへの衝突は早朝に多発する傾向があるので、夕方ブラインド等を下ろし、朝になってから上げることで、かなり減らせると思われるとのことです
· バードセーバーの貼付(効果については諸説あるようです)
· カーテン、ブラインドを下ろす
· フクロウなどの小鳥が嫌う置物を窓際に置く
· ビニールテープを一定間隔に貼る
· ガラスそのものにストライプを入れる
· 建物の窓面をオーバーハングさせる
· 鳥が窓ガラスに近寄らない仕掛けをする
http://hiroshimaryokkac.blog59.fc2.com/blog-date-200701.html
「素朴な質問」→鳥の数? 人より多いか少ないか?
2016年10月2日日曜日
奥池日記
奥池のペットはとても人懐っこいですね。
たいていは目を合わせてこちらの様子を見る。
空家の番人?
家から抜け出して散歩する犬。
大阪市内は、昼間の人口が多いのでしょうか、
空気が薄く感じられます。
刺激的!
2016年9月25日日曜日
ガレージハウス
◆休日の居場所◆
ガレージに使いやすい土地にも適性があります。
125坪 2480万円 芦屋ハイランド
写真はイメージです。
現在更地
オーナー募集中
イメージ写真
イメージ写真
◆ガレージハウスの立地条件
道路とガレージ入口に段差が少ない
水はけ
交通利用が少ない
間口が広い
地勢がほぼ平坦地である
周辺に樹木がなく通風がよい
◆将来→平屋建てを計画してガレージとして使用の後は
屋根裏を部屋に改装して住居としても使用可能なよう設計する
2016年4月28日木曜日
「太古の昔、奥池にナウマン象がいた?」
「昭和36年(1961年)、芦屋と有馬を結ぶ芦有ドライブウェイの工事中に手のひら位の大きさの化石が見つかり、ナウマン象の下あごの歯であることがわかりました。
ナウマン象は、なぜ、このような高い所で発見されたんだろう?
その理由を想像してみよう!
ナウマン象は、いつごろから日本にいたの?
ナウマン象が日本に渡ってきたのは、約10万年前ごろで、人類が日本列島に住みつく前だと考えられています。この時代の海面は今より約140mも低く、日本列島は大陸と陸続きになっていました。
また、日本列島から姿を消したのは、旧石器時代~縄文時代初期(約4~1万年前)ごろで、海面の上昇による草原地帯の減少や、当時の人々の狩りなどが原因と考えられています。発見された化石は、現在、芦屋市立美術博物館の歴史資料展示室に展示されています。
また、復元されたナウマン象を大阪市立自然史博物館で見ることができます。
ナウマン象の化石(下あごの歯)が見つかった時の様子復元されたナウマン象は、草食の大型動物で、草原地帯に住んでいました。しかし、芦屋川上流で発見されたナウマン象の化石は、海面からの高さが約400mもある六甲山地の中腹で発見されました。
どうして、こうした山の中で発見されたのか、謎となっています。
【答え】→正解
復元されたナウマン象
ナウマン象の化石(下あごの歯)が見つかった時の様子
「奥池の町はいつ頃できたの?」
開発は、奥池町から始まり、「昭和」の町といってもいいでしょう。
昭和41年(1966)2月9日
奥池町、分譲地内の上下水道工事着工
昭和44年(1969)2月7日
奥池町(第1工区)宅地造成工事完了、分譲へ
昭和45年(1970)1月13奥池南町「ゴロゴロ岳周辺」(第2工区)は日宅地造成工事完工
昭和48年(1973)1月30日
奥池南町(第3工区)宅地造成工事完工、(株)熊谷組が「芦屋ハイランド」として販売開始
平成10年(1998)奥池町(第4工区)ユートピア芦屋、分譲開始、平成15年3月 定期借地物件全34区画完売。
現在の奥池町と奥池南町は「奥山」という地名でした。現在も奥山の地名はあります。
芦有ドライブウェイが昭和36年9月21日に営業開始。
以上、最初に奥池町から順番に開発され健康保険組合、企業の研修所、保養所に始まり個人住宅が多く建築されました。平成10年頃から、保養所などを取壊し、その跡に住宅が建築されています。奥池南町は、昭和44年頃に開発許可を取得し、昭和48年頃に完成し住宅地として分譲されました。少し離れた地区には大阪ガスなどの研修所等が現在もあります。
奥池町・奥池南町の地名の由来
芦有道路が開通して、標高500mの奥池周辺にも保養所や邸宅などが建ち、その南に新しい町「芦屋ハイランド」が開発されました。六甲山でも最も美しい池と言われた奥池は、野鳥や植物の宝庫に接した町が奥池町と奥池南町で、町名は奥池の地名によります。奥池の南側に石のほこらがあります。江戸時代、田畑の水不足をなくすために猿丸安時という人が約20年かけ谷をせきとめ、奥池を掘って、池の安全を願い、水の神様を奉ったと刻まれています。昭和46年4月に、芦屋市民の生活に必要な水を貯えるため、奥池のそばに奥池の4倍以上の大きさの奥山貯水池が造られました。(あしや子ども風土記より)
奥池の歴史は、芦有開発の歴史ではないでしょうか。
芦有開発の会社「沿革」
昭和32年(1957)5月22日
発起人会設立準備委員会開催
12月27日 時動車道事業免許交付、
昭和33年(1958)2月28日
発起人総会、第1回取締役会
3月1日 会社設立、資本金5千万円 、3月16日 増資、1億円 、3月31日 芦屋市公光町に本社建設用地として257坪を購入
昭和34年(1959) 6月20日 増資、2億円 、7月25日 芦有ドライブウェイ着工 、 11月30日 本社公光ビル起工
昭和35年(1960) 6月 6日 兵庫県芦屋ユースホステル開館(奥池南町社有地1,000坪は無償貸与)、 6月15日 増資、4億円 、 6月18日 本社公光ビル完工
8月29日 台風第16号の襲来により西宮市越水字社家郷山(宝殿ゲート付近)で土砂崩れ発生、現場付近の飯場作業員が生き埋めとなり24名の犠牲者を出した
翌年8月に 宝殿ゲート付近に慰霊碑を建立
昭和36年(1961) 4月13日 奥池ボート営業開始(6月売店営業開始)
8月17日 芦有ドライブウェイ完工 、 9月21日 芦有ドライブウェイ営業開始(芦屋~有馬間500円)
昭和37年(1962) 4月11日 芦有タクシー営業開始(芦屋営業所、有馬営業所を設置) 、 4月20日 増資、8億円 、 8月22日 東六甲(ループ)展望台レストハウスにて食堂事業開始
昭和38年(1963) 3月31日 芦有バス営業開始(芦屋~有馬・六甲山上間の定期バス運行) 、 6月22日 宅地建物取引業免許取得、 11月28日 増資、16億円
昭和39年(1964) 4月 2日 自然公園法園地事業認可、奥池遊園地に本場ハワイから舞踊団を招き、夏に1か月間にわたる歌と踊りの「ハワイまつり」を昭和43年まで5年間開催、 8月18日
奥池町(第1工区)宅地造成工事事業許可 、 10月26日 旅行斡旋業営業開始、 12月11日 兵庫県ユネスコ会館に奥池南町社有地1,000坪を寄付、
昭和40年(1965) 3月22日 奥山管理事務所新設、
昭和41年(1966) 2月 9日 分譲地内の上下水道工事着工
昭和43年(1968) 9月30日 芦屋市の奥山貯水池計画のため、当社社有地2万坪と市所有地6万坪を土地交換
昭和44年(1969) 2月 7日 奥池町(第1工区)宅地造成工事完了、分譲へ
3月12日 奥池南町 (第3工区)(旧)住宅地造成事業法による事業認可、 4月 奥池南町(第3工区)(株)熊谷組、(財)電気通信共済会に土地全部を譲渡、12月6日 奥池南町ごろごろ岳周辺(第2工区)(旧)住宅地造成事業法による事業認可
昭和45年(1970) 1月13日 奥池南町(第2工区)宅地造成工事完工、 6月 1日 遊園地事業廃業、バス・タクシー事業縮小、 10月31日
都市計画法改正により、奥池地域全体が市街化調整区域に指定される、昭和46年(1971) 3月25日 「奥山貯水池」完成
昭和47年(1972) 4月24日
芦有タクシー事業廃業、 9月 6日 芦屋市公光町、旧関西信用金庫跡地70坪と建物90坪を購入、 11月10日 奥池南町(第3工区) 宅地造成事業における自然公園法の変更許可
、 12月16日 奥池南町(第3工区)(旧)住宅地造成事業法による事業認可
昭和48年(1973) 1月30日 奥池南町(第3工区)宅地造成工事完工、(株)熊谷組が「芦屋ハイランド」として販売開始
昭和49年(1974) 5月 7日 奥池南町34の1に当社奥山事務所を開設、
昭和50年(1975) 3月31日 宅地造成した第1、2、3工区の道路・下水道・公園緑地等の公共施設を芦屋市へ無償譲渡、 10月27日 旅行斡旋業廃業
昭和51年(1976) 7月10日 通行料金改定(芦屋有馬間600円)
昭和52年(1977) 6月28日 バス事業を阪急バス(株)に譲渡、(9月21日から「芦屋―有馬・山口」及び「芦屋―芦屋ハイランド」の2系統で運行開始)
昭和53年(1978) 4月 1日 奥池遊びの広場開園
昭和55年(1980) 4月 1日 簡易水道施設を芦屋市へ移管、管理は当社が受託
昭和56年(1981) 10月 1日 第四工区(ユートピア芦屋) (旧)住宅地造成事業法による事業認可
昭和57年(1982) 4月、第4工区着工(計画戸数40戸)
昭和59年(1984) 3月31日 昭和58年度、通行台数100万台突破
昭和60年(1985) 3月19日 第4工区完工
昭和61年(1986) 2月20日 通行料金改定(芦屋有馬間700円) 、 3月24日
兵庫県ユネスコ会館営業中止、 4月 1日 奥池住宅地域の下水道管理業務を芦屋市へ移管
昭和63年(1988) 4月 1日 水道等管理業務は芦屋市に管理となる 5月 1日 ユートピア芦屋、第1号賃貸住宅完成
平成元年(1989) 3月31日 借入金完済、 4月14日 奥池の30メートル噴水を芦屋市に寄贈(創立30周年記念事業として) 、 11月 1日 通行料金改定(芦屋有馬間800円)
平成 3年(1991) 3月25日 西宮北有料道路が開通 、 3月31日 平成2年度、通行台数140万台(過去最高)
平成 6年(1994) 7月 本社事務所を公光町から奥池南町に移転
平成 7年(1995) 1月17日 阪神淡路大震災により道路崩壊等大きな被害を受ける 、 4月26日 全線開通(一部方側通行) 、
平成 8年(1996) 8月 8日 ドライブウェイ全線復旧 、
平成 9年(1997) 10月20日 奥池本社事務所、新築完成
平成10年(1998) 3月 金井トンネル・有馬トンネル、面導水工事完工、 8月 芦屋消防署奥池分遣所設立(本社事務所敷地内) 、11月20日 ユートピア芦屋、分譲開始 、
平成12年(2000) 3月31日 震災復旧工事完了(1,135百万円) 、 兵庫県芦屋ユースホステル閉館
平成15年(2003) 3月 ユートピア芦屋、全計画区34区画完売
、 4月 1日 24時間営業を開始(土日祝の前日のみ)、 10月10日 本店所在地を奥池南町に移転登記
平成16年(2004) 3月22日 西宮北有料道路立体交差完成、 7月 1日 冬期を除く全日24時間営業を開始 、 10月20日 台風23号による擁壁崩壊(kp98、片側通行) 12月 六甲トンネル面導水工事完工
平成17年(2005) 3月31日 台風23号被害復旧工事完工、 4月19日 ホームページ開設 、 5月 東六甲展望台レストハウス新設し、直営開業、 7月 芦有トンネル面導水工事完工 8月10日 減資 新資本金8千万円
平成18年(2006) 5月15日 料金所(3ゲート)半自動化営業開始、 6月23日 創業以来初の配当を行う(1株当たり5円)株券不発行制とする 、 7月 8日 奥池南町六区画宅地造成工事着工
平成19年(2007) 3月31日 奥池南町六区画宅地造成工事完工、 5月 1日 芦屋~有馬間全線定期券7800円を発売開始、(平成20年3月末日までの期間限定発売)
平成20年(2008) 3月1日 会社創立50周年
金井慶二 昭和33年 3月 1日 ~ 昭和44年10月 9日
平木徳男 昭和44年 10月 9日 ~ 平成 4年 1月 2日
堀 弘之 平成 4年 1月 2日 ~ 平成 7年 6月30日
佐藤元美 平成 7年 6月30日 ~ 平成13年 6月21日
山本芳弘 平成13年 6月21日 ~ 平成19年 6月21日
久我 克 平成19年 6月21日 ~
平成 7年(1995) 1月17日 阪神淡路大震災発生
、 芦屋市をはじめ京阪神の各市や淡路島を襲った「阪神大震災」。芦有ドライブウェイでも道路の崩壊や擁壁の崩れ等、大きな被害を受けた。安全の確保と早期復旧のジレンマの中その日の早朝より各地被害者の交通の利便を図るため応急復旧作業を行う。震災当日より1月31日まで、芦屋~奥池間と宝殿~有馬間を無料開放し、とりわけ一般道路の被害が大きかった西宮・宝塚からの迂回路として宝殿~有馬間は大いに役立った。2月1日から芦屋~奥池、宝殿~有馬間それぞれ営業を再開し、被害の一番大きかった芦屋ゲートから3.4キロ地点の本線崩壊現場の突貫工事を進め、被災後100日ぶりの4月26日から片側車線を開通させ全線営業再開にこぎつけた。なお、阪急バスは同日から芦屋~有馬間の運転を再開した。全線完全復旧は翌年の8月8日、道路以外の施設の復旧を含めた完全復旧には5年を要した。
・芦有ドライブウェイ全線復旧:平成8年8月8日、
・道路以外の施設の復旧:平成12年3月31日
・最大の被害個所:芦屋ゲートから3.4キロ地点、道路延長70m、面積500㎡が崩落
・芦屋ゲートから4.2キロ地点、東六甲展望台等の石積擁壁崩落
・その他の被害:石積み・擁壁等の被害・・・4,370㎡
・舗装面亀裂等路面被害・・・28,400㎡
・落石防止ネット等の被害・・・7,400㎡
・各ゲート、本社ビル等建物被害
・完全復旧までの総工事費:11億3千5百万円
(有価証券売却、内部留保金、法人税等還付金等で充当)
平成10年(1998) 11月20日 ユートピア芦屋、分譲開始
昭和57年4月に着工、約3年をかけて宅地造成を行った全38区画のユートピア芦屋。
昭和63年に第1号賃貸住宅(38号地)が完成。
以前この区画を外国人向け住宅地として売り出す計画を検討していたが、断念。
その後阪神淡路大震災による被害もありライフラインの復旧、陥没した道路の整備も行った上で平成4年8月に借地借家法の改正により創設された「一般定期借地権」の制度を採用し、エー・ビー・シー開発(株)、ミサワホーム近畿(株)の協力のもと「豊かな自然環境と共存して暮らす」をテーマに、贅沢に敷地を利用し、又地形の特性を生かした個性あふれる住まいの街並みをめざしてて初回13区画の分譲、賃貸を開始した。芦有開発の安定収入づくりがこの事業の狙いである。平成15年3月 定期借地物件全34区画完売。
平成16年(2004) 10月20日 台風第23号被害(KP.九八)
この年、近畿地方へ接近した台風が9件と平年の2.8件と比べて3倍以上という異常な年で、中でも第23号は九州地方から関東地方の広い範囲で大雨となり、土砂崩れや浸水等により各地で甚大な被害をもたらし、死者は兵庫・京都・香川を中心に全国で95名にも達した。
芦有ドライブウェイでも10月20日17時40分頃、有馬瑞宝寺バス停付近(KP.九八)有馬行き車線左側ブロック積み擁壁が幅約23m、高さ約15mにわたり崩壊した。幸いにも崩壊現場に通行中の車両がなかったため人的被害はなかったものの、道路は寸断され通行止めを行った。翌朝からの崩壊した擁壁や土砂の撤去作業に着手し、16時、事故現場付近の約80mの区間の片側相互通行を開始した。
崩壊した擁壁部分の土地所有者との諸問題の解決を図り、翌年3月31日復旧工事が完了した。
平成17年(2005) 5月 東六甲レストハウス新設し、直営とする
平成16年 9月、営業委託していた展望台売店の業者の撤退の申し入れを受け、当社が引き継ぎ営業することにした。当時は、焼きそば、たこ焼き、フランクフルト等の軽食がメインであったが、平成17年5月、店舗を新築し、厨房・空調等の設備も整えた。本格的なスープで作るラーメン等5種類のソフトクリームは人気メニューとなっている。
・営業時間:10:30~17:30(土日祝は20:00)・定休日:毎週火曜日
平成17年(2005) 7月 ドライブウェイ全てのトンネルの面導水工事竣工
芦有ドライブウェイには4つのトンネル(金井・六甲・芦有・有馬)がある。
ドライブウェイ開通以来トンネル坑内壁面コンクリートの劣化及び凍害によるひび割れ等が発生し、漏水・コンクリートの剥落・氷柱の落下等が起こり、危険性が増してきた。
この対策として平成10年3月金井トンネルの鋼板覆工(面導水工事)に始まり、平成17年7月芦有トンネルを最後にすべてのトンネルの面導水工事を終え根本的な修理を図った。同時に照明も強化し安全対策の強化を行った。総工事費は4億3千9百万であった。
六甲トンネルの工法は当社独自のもので各方面から注目を浴びた。
平成18年(2006) 5月15日 料金所(3ゲート)半自動化
、 長期低迷傾向が続く自動車道の経営の効率化のためとゲート作業の標準化のため料金所(3ゲート)の半自動化をスタートさせた。それまでは、各ゲートとも入場時に係員が前払いの料金を徴収し、退出時に領収書を発行していたが、機械化(コンピュータ化)をすることにより、入場時にゲートに設置した自動発券機で通行券を受け取り、退出時に係員が料金徴収を行うシステムとした(半自動化)。
また、セキュリティ面においてはゲート付近に防犯用カメラを設置したことにより、奥池地区にお住まいの方々はじめお客様の安心感の向上につながっている。
平成19年(2007) 3月31日 奥池南町工区外6区画宅地造成工事 完工
平成13年7月に既存宅地として5年間限定の開発許可(平成18年7月期限)を受けていた当社所有土地を宅地分譲すべく、平成17年5月より芦屋市、兵庫県、環境省等の行政機関との協議を重ね、また、地元自治会・まちづくり協議会等への説明会を開催し、地域住民の要望等にもできる限り応える内容で開発計画を立案した。平成18年7月に着工、予定通り3月31日に無事完工し、6月19日兵庫県公報(第1885号)にて完了公告された、
・「開発地概要」
、奥池南町1の1540の一部(当社事務所前) 約2,750㎡ 戸建住居専用住宅地(2区画)、同1の309の一部(ユースホステル跡地) 約3,230㎡ 戸建住居専用住宅地(2区画)、同1の392及び413の一部(フィールドアスレチック跡地)約1,590㎡ 戸建住居専用住宅地(2区画)、歩道新設工事、植栽帯設備工事、・工事期間:平成18年七月上旬~平成19年3月末日
【答え】→昭和44年頃から始まりました。
奥池にある奥池は太古からある湖である?」
奥池は、人造池です。
江戸時代、田畑の水不足をなくすために猿丸安時という人が約20年かけ谷をせきとめ、奥池を掘って、池の安全を願い、水の神様を奉ったと刻まれています。昭和46年4月に、芦屋市民の生活に必要な水を貯えるため、奥池のそばに奥池の4倍以上の大きさの奥山貯水池が造られました。
奥池の周辺は、歩道があり人気の散歩コースです。途中に鯉や亀など多くの動植物と出会うことでしょう。歩道から見る水面からの山並みはリゾート感たっぷりで気分爽快。
奥池の畔には奥池園地、遊びの広場があります。遊びの広場にはグランドゴルフ場があり家族で楽しめます。
【答え】→誤り
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